世間や周りの凄さに圧倒されるあなた

ついつい、自分と他人を比べてしまいます。
例えば、自分がやろうとしてる、やっている

仕事の出来ばえを、更に優れている人と
比較したりして、落ち込むときってありませんか?

わたしはしょっちゅうです。

ホワイトカラーで自立して
コンサルティングしてるヒトに嫉妬したりします。

その背景は
つまり自分も出来る、やりたい、でも、
うじうじ、
負けてる
自尊心低い

↑みたいな領域をウロウロしてる

↑はい、メタ視点。


これまで世間の価値観に
それとなく合わせてきたつもりでは
ありますが

 

一部では既に『自分であること』が
素晴らしいと言う価値観が
浸透してきているようです。

 

うれしい話ですよね。
仕事もロボット化が進むと
単純作業や管理業務などは
今より減ります。

じゃあ人間、自分に出来ることは?

自分自身であること、
クリエイティブであること。

ロボットには現行クリエイティブ能力は
『過去』のパターンを最適化したりするのが

限度のようだ。

人間も上記能力は同様にあるが、
人間は『今』と繋がり
そのインスピレーションを具現化できる。

決め方は合理的ではなく
非合理的であることが多い

その為にもクリエイティブであれと。

じゃあ
クリエイティブになるには?

集中力もそうだけと
そもそも人は厳密には好みや

感性が微妙に違う
現実の受け取り方、見え方

反応の仕方さえ違う
そんな自分自身を、この実質

社会主義に生きる日本の人たちは

『ボンヤリとした世間様・常識・全体主義圧力』に

合わせて圧し殺している。
そんな自分を『表現』するだけでも

それは生ける『クリエイティブ』
ではないでしょうか。

 

 

 

さて、自分であること?
(*´∇`*)どういうことでしょうか?

私は思う

私は感じる。

私はこれが好き

私はこれが嫌い

 

私はこれがいい
これらの集合体なのかも

 

あなたは何が好きで何が嫌いですか?
どんな状態で在りたいですか?

 

 

自分は社会的に

よろしとされていないところを
葛藤なく出す人で在りたい。
例えば、甘えたちゃんな心
(赤ちゃんとかじゃなくてね)

するとどうなるか?
本来の自分を出すと

嫌なヒトは直ぐに離れ
それでも好い人が残る。寄る
表面上の人も離れる。

これがやや、辛い場面ではある。
職場?キャライメージが固定化した場では

反発が凄まじい、厳しいね

では、有効な場はどこか?
それは主に初対面の場
又は自分のことを知らない集団

これを応用するのが俗に言う

『高校・大学デビュー』だ

利にかなってるんだな~

 

タイトルの比べてしまう自分は、

1 何に劣等感を感じているか自己認識し、投影を観る

2 『他人』と比べるのではなく、『昨日の自分』と比べる

3 自分自身になって『比べる』というパラダイムを出る

これでOKでしょ~(*≧∀≦*)