言葉っていったい何だろう、思考の旅 深掘りする生き方

言葉の発祥の場所はどこからきているのか?

浅く探るならば、『心、感情』や『精神』などから来ているとも言えます。

『心、感情』で突き詰めてみましょう。
感情とは、物事対して抱く気持ちのことを指します。
怒りや恥、恋に悲しい、憎む、慕う、懐かしむ、忌む、愁える、怪しむ、
これら感情の状態には全て『心』が入っています。

では『心』とはそもそも何か?
心とは非常に多義的・抽象的な概念であり文脈に応じて多様な意味をもつ言葉であり、
人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、
感情、意志、知識、思いやり、情などを含みつつ指しています。

なんか、もやっとしますよね?
さらに広辞苑は以下のようなものを挙げています。

人間の精神作用のもとになるもの。
人間の精神の作用そのもの。
知識・感情・意思の総体。

ううむ…となると次は『精神』を見ていきましょう。

『心』と同じ意味にも用いられるが,心が主観的・情緒的で個人の内面にとどまるのに対し,
『精神』は知性や理念に支えられる高次の心の働き。(心と精神の言葉の堂々巡り)

非物質的現象またはその基体とされる実体をさす概念。その直接的認識は不可能なので精密な概念規定はない(無いのかい!)

心、意識、気構え、気力、理念といった意味を持つ言葉。(再び心と精神の言葉の堂々巡り)

中国語の語源で『意識形態』

ここまで来てもさっぱりですね。

外界からの情報が知覚であり、これは、
身体からの信号である感覚をもとに構成されたものとなる。
動物が外界からの『刺激』に対して、繰り返しの刺激に対しては
『より良い反応』を返すとする。
『より良い反応』とは、物質レベルの肉体がより『ストレスの無い』
状態で刺激を受け取る為の反応なのか?
だとしたらこの『反応』こそが『思考、意思、精神、思考』と命名づけられるのだろうか?

『切ない』てなあに? つまりどんな状態なの?
具体的に、詳しく、詳細を聴くと、人それぞれ微妙に『切ない状態が違う』という所も
不思議でたまりませんでした。

言葉(ことば)は、人間が話す・書くなどの行為をする事によって
情報の伝達手段となりうる、意味があるものの総称。
心・気持ち・思い・考え等を表す手段の一つである。
学術的分野では「言語」とも称されるが、
日本語で「言葉」というと、言語の中で用いられる語を意味することも多い。(Wiki参照)

わたしの中で『言葉』とは、『不完全な意思伝達のツール』となりました。
当時のわたしは、まだ微細な表現が可能な音楽に熱中していました。
言葉から離れ、理解が遠のき、『微細な表現が可能な音楽で表現する』と、信念が書き換わっていきました。

しかし、『言葉』は、人が意思伝達するうえで重要な位置にあります。
これまでの人生では『言葉』だけが独り歩きしていましたが、
上司と揉めた際に、もっとうまく話せるようになる、と『決めました』

そこからは、コミュニケーション検定に行き、NLPや心理学、深層心理学を学びに行き、
言葉に対する認識が変化していきました。

言葉はただ、言葉として受け取るのではなく
『どのような想いでその言葉を発しているか』という視点が加わり、
やがて人がどうしてその言葉を言うのかが理解できるようになってきました。

わたしにとっての大きな氣づきの一つでした。

視点を変えて、言葉の目的とは?
そう、意思を、思考を、意図を伝える事です。
言葉にイメージが合致して初めて伝える事が出来ます。
そこには共有・共鳴が必要です。
さらに分解すると『音』ですね。
言い換えると、音にアンカリングされている共通イメージを
共鳴させるってところでしょうか。
わたしの中では、言葉とは
この世界で生きていく上での創造の一つである、と勝手に定義づけました。

言葉は丁寧に紡いでいきたいですね。
(#^.^#)